- カネコ ユウキ
「悲しいけど嫌いな人がいる」の続き
先日のブログで私は、悲しいけどどうしても嫌いな人がいる事や、合わない人がいるという内容を書きました。
▼先日のブログ「誰とでも頑張って仲良くなろうとしているあなたへ」▼
悲しいけどどうしても嫌いな人がいる。それは今も変わりませんが、今日はその事についての続きのお話を記事にしようと思います。
私は過去、相手に対して嫌いだと感じる感情を持ってはならないと思い、無意識に戦っていました。
「みんなと仲良く」したかったからです。
本当に心からそう思っていましたが、そこに隠れた自分の目的は決して良い意図ではありませんでした。この事をもっと、掘り下げて言えば、
「みんなと仲良く出来る明るい自分でいたかった」
「嫌われていない自分でいたかった」という方が正確です。
みんなに自分を認めて欲しかったという承認欲求を
何より優先させていたという事です。
自分の為に人と仲良くなろうと近づいて、良い関係を築けるわけないですよね。
人を利用しようとしてるんですから。
そして私は、その自分の目的を達成する為に、自分の中にある
「嫌い」「合わない」という気持ちを無視してまで相手と仲良くなろうとしていました。
結果、相手に避けられ、分かりやすく距離を取られた事が何度もあります。
当時はなぜそうなってしまうのか本当に分かりませんでした・・・。
自分の為に人と仲良くやろうとしている自分の意図にすら気が付かず、自分の好き嫌いの気持ちも無視し、どこにも自分がいないような、実体がないようなそんな感覚でした。
そして大人になるまで何度も人とぶつかる事で、自分の中に「嫌いな人」がいると実感します。
また自分の為だけに人と関わろうとしていた醜さに気が付きます。
約15年以上経ってようやく気が付き、自分の行動に対処出来、問題も起きなくなりました。
そこからしばらくして、自分の中に残っていたモヤモヤに気が付きます。
ただ「嫌いな人」という認識は自分を楽にしてくれるものの・・・・
なんだか違和感がある。そう思ったんです。
嫌いだから、合わないから、その人との関係はそこまで。
これって正解でしょうか?
何が正解で、何が間違ってるかという明確な答えはないにしても、
自分で決めるとしたら、
私の人生にとっては間違っている。
合わない人と距離をとる。この行動はこれまでの経験からとても大切な事だと思います。
そこまでなら、ネット検索しても出てくるよくある「嫌いな人の対処法」です。
それはやる。物理的に近づかないし、話しかけない。関わらない。行動としてはそれで良くて、
その続きを自分で決めてやってみる。
それは、黙って相手に関心を寄せる。
相手の状態を完全に理解する事は絶対に出来ないけど、想像する。
関わりがなくとも先に自分から心を開く。
「みんなと仲良く」の本当の意味は「誰とでも一緒に楽しく過ごす」のではなく、
どんな人に対しても「相手の身になって関心を寄せる」
事なのではないかと思ったんです。
これもまた自転車を練習するように何度も何度も今でも反復です・・・
相手に関心を寄せる事に重きをおくと、そこに注意がいくので、なんだか好き嫌いをわざわざ判断しなくてもいいのではと思えて来ます。
注意なのは、「自分の承認欲求がらみに妄想しない事」
白黒つけるのは脳がスッキリして無意識に心地が良いから。そう本にありました。
子供の頃と比べたら随分と身体の使い方は上達しましたので
目に見えない、脳や意識の使い方も、この先まだ歳を重ねますから、
日々、練習していきたいと思います。
こんな事、もしかしたら子供にですら出来る事なのかもしれません。
それでも、もしかしたら私と同じように大人になってからも困っている人がいるかもしれません。いつの日か、そんな人に寄り添える記事となって手元に届けばいいなと願います。
私は、凄く歳をとってしまってもいいから、いつの日か、
本当に、みんなと仲良くなれたらいいなと思います。
