- カネコ ユウキ
自立
みなさんは、「自立」ってどういう事だと思いますか。
親元を離れて経済的に自立する事。
私は今まで、これだけが自立の定義だと思っていました。でも実際に離れてみて身を持って確信したんですが自立とは、この事だけではありません。というか親元を離れるかどうかは、どちらでもいいと今は思っています。(離れないと困難な事情がある時は離れたほうが良いです。)
私が今思う、自立とは、
それは「自己承認の出来る人間になる事」です。
他者の承認を必要とせず、自分で自分を認められる人になるという意味です。
なぜこれが自立で、大切な事なのか。今日は自己承認が必要だと思う理由を3つご紹介させて頂きます。
①承認欲求は人間の本能だから
承認欲求は人間の本能らしいので、消す事は出来ないと考えます。ですが、他人からではなく、自分で自分の事を承認する事が重要だと私は思います。
子供の頃の習慣になってしまった、「親に認められないといけない」という価値観、承認欲求をこじらせると、大人になっても承認欲求の矛先が親、または別の誰か他人に向いたままになってしまいます。
それを自覚した上で楽しんでいるのであれば良いですが、無自覚で他人からの承認欲求に満たされないと自分のバランスを保てないような状態だと良くないのではないでしょうか。
だから自分で自分の事を承認する。
シンプルな言葉ですが、人によっては簡単ではありません。というのは、これまでの生活習慣から、他人の承認欲求を満たす事を目的に生きてるタイプの人がいるからです。(それが私だったのですが・・・)
一生付き合っていく人間の本能だからこそ、見えないからと言って間違った使い方をしてしまっては、簡単に一生疲れる人生を送る事が出来てしまうと思います。
②自分の人生を歩くため
自分が納得する人生を歩くには、自分はこう生きると決めてしまう事が大切だと先日のブログに書かせて頂きました。これはマコなり社長のYouTube動画から学んで自分も実践した事です。
決める事を迷っていると何十年も簡単に悩み続けてしまえます。
私は「自立した自分自身の行動で生きていく」と決めました。これ、他人からしたらどう感じるかな、と他人の承認欲求を得る為に頭を使ってしまうと、
「周りは苦労している人もいるのに」
「好きな事ばかりやって」
「そんなに人生甘くない」などという言葉が出てきます。
「だから他人に認めてもらう為に自分も苦労しなきゃ。」となって、きりがありません。
そして簡単にそういう事を言う人の承認欲求を満たそうと生きると、私の人生が終わる死ぬ直前にようやく「よく頑張ったね」と認めてもらえます。
自分が納得すれば勿論良いと思いますが、もし
あれ、自分の人生は・・・?と死ぬ直前に疑問が残ったとしても、人生終了です。(あくまで私個人の意見です。)
他人に満足してもらおうとして生きても、自分で納得して生きようとしても人生は終わります。
それなら、寿命近く体が動かなくなった時、だとえ誰からも認められずとも、「いやー良かった。悔いなし!」と晴れ晴れとした気分で、精神がずっしりと自立した状態でこの世を去りたいです。
③人を幸せにする為
これ、矛盾していると思われるかもしれませんが、全く矛盾していません。
私は自分と関わる事で人が幸せになればいいなと思っています。
絵を通して、直接かかわって・・・(直接関わるのまだ苦手ですけどそう思っています)
実際に幸せになったかどうかで私が左右されるわけではありません。
自分に出来るのは、相手が幸せになったらいいなと黙って願って行動するとこまでです。
ただ、人の幸せを願う行動をするにはまず、どうしても自分が認められている状態じゃないと出来ないと私は思います。そこがおろそかになっていると、いつまでも自分が満たされようとする考えから抜け出せないからです。
まず自分が自分のままで良いと認められる事。それが土台なのに、他人からの承認でしか自分を認められなければ、いつまでも満たされず、土台も不安定なままでぐらついてしまうのではないでしょうか。
だから自己承認が必要だと思います。自分で認めて、自分で立つ。
自分で自分を満たして、自立した状態で、人の幸せを願う行動が出来るのだと思います。
いかがでしたでしょうか。
秒で自立出来るわけではないです。自分の本質にするまでには時間がかかります。
他人に承認欲求を求めて生きてきた人にとって、自己承認は孤独を感じるかもしれません。
相手に何も求めず、自分が他人に良いと思う事を自分で納得してやる。死ぬまで一人なのかな・・・というような気持ちにさえなります。
でもそうではありません。他者がいなければ、承認欲求という本能すらおそらく必要なくなります。自己承認は何よりも他者と一緒に生きている証だと私は未熟なりに思っています。
誰にも依存せずに生きる事が出来る自立した人。
この記事を書いている時、人という字は人と人が支えあっているのではなく、この1文字で一人の人間が立っている事を表しているのではないかと私は思いました。
